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佐藤 雄太

理学療法士として様々な医療現場に携わりQOL(人生の質)をいかに高められるかを研究・追及するうち、幸せになりたいのに、なろうとしない人たちと出会う。なろうとしない心理にこそ病気や怪我を治す本当の理由が隠れていることを知る。そしてその心理を作り続ける脳を変えていくことで病気を辞める脳の部位を動かせることを知る。そして病気や怪我を辞めて“本当の自分の幸せを創る”対話セッションを世に広めるべく、医療経験を生かした心理セラピストとして活動中。

 

1、命を賭した復讐劇

2、父の代わりを生きたうつ病の時代

3、脳は潜在意識の“自分自身”を現実化していく
 

命を賭した復讐劇

私は小学生の頃にイタズラや自身の怪我をネタに周りの人の注目を集めることをよくしていました。そうしないと誰も私のことを見てくれない、遊んでくれないという感覚を持っていました。家では亭主関白な父に私の自由を束縛されることが多く、家に帰るのを少しでも遅らせるために、帰ろうとする友達にイタズラをしていました。ですが小学5年生の頃にはイタズラが嫌で一緒に遊んでくれる友達もほとんどいなくなりました。皆さんは当然の出来事のように感じていると思いますが、当時の私はどうして誰も遊んでくれないんだろう?何かがおかしい…と本気で思っていました。

家では、父は子供が欲しくて再婚をするほど子供が好きで、念願の長男を自分の趣味に連れまわそうとしますが、私がそれを拒否するとバケツで水をかぶせてきたりと相手の嫌がることを引き合いにして自分の欲求を押し通していました。そんな自分の意見の通し方が当たり前の環境で育った私は、心に違和感を感じながらもこの方法しか自分の意見を通すことが出来ないと本気で信じていたのです。そして心の違和感はいつか父に復讐してやろうという感覚を育てていました。

 

すると事件が起き始めます。

父の趣味の渓流釣りに行ったその日、私は川の上流で転び川に流され十数メートルという高さの滝の上に宙吊りになる出来事がありました。あの時、父が私の腕を捕まえなかったら、私は滝を真っ逆さまに落ちて無事ではいられなかったでしょう。また別の日、父の水泳仲間とのプールに無理やり連れていかれた時、私は一人で泳ぎの練習をしていて、父は仲間と楽しく談笑していました。「無理やり連れてきておいて結局他の人と話しているなんて...」そう思った私は練習を切り上げて小走りでサウナに向かい、途中で転び飛び込み台の角に頭をぶつけて、大人たちが慌ててこちらに走ってくる姿を見て自分が血まみれになっているのに気付きました。耳を開放骨折していて、すぐに病院で手術をすることとなりました。他にもスキューバダイビングに連れていかれ、恐怖心から絶対に行きたくないと思っていた私は、深海20mでパニックになりゴーグルやレギュレーター(酸素の管)を見失う経験をしました。他にもたくさんの出来事が起きましたが、この出来事が起きることで、私は心のどこかに密かな達成感を感じ、父の楽しいはずの趣味の時間が苦痛の時間へと変化していったのです。

 

この時の私は“病気や命がかかった時でないと父は私を見てくれない”という感覚が強くありました。昔から父と遊ぼうとすると父がやりたい遊びになり、本当にやりたい遊びができない、私は自分の本当の欲求を見てもらえないんだ、と本気で思い込んでいたのです。自分の欲求を認められない世界が許せず、だからこそ私に注目させることで父の楽しみが苦痛に変わり、私は父に本当の自分の気持ちを見てもらえるように無意識に命を賭した復讐劇をしていたのです。

 

そしてこのやり方でしか自分の遊びができないと思っていた私は友達にはイタズラや怪我で本当の自分に注目を集めるように仕向けていたのです。

このことに気付いた私は“相手に寄り添うことで物事を楽しむ”人生の楽しみ方を父との関係性から気付き、現在は医療現場やプライベートにおいても多くの方に愛される自分を作り上げることが出来ています。

父の代わりを生きたうつ病の時代

 

父との関係性から多くの交友関係が生まれると、父との交流は目に見えて減っていきました。言葉を交わせば殴り合いの喧嘩ばかりして憎んでいた父と会話のない日が続き、高校1年の秋、家に着くと父が倒れていました。皮膚に出ているのが死亡後に出る黄疸であることに気付き、お祖母ちゃんに救急車を呼ぶようお願いして、ありったけの知識をかき集めて私は心臓マッサージをしていました。仕事から帰った母は泣き崩れ何かをできる状況ではなく、救急車への同伴も自分でしていました。父に裏切られた気持ちでいっぱいでした。病院の廊下で父の死亡診断を告げた医師が退出し、私と母だけになった時、滝のような涙があふれた瞬間、私は本当は父に復讐したかったのではなく、大好きなお父さんに自分の好きなことをもっと知ってもらって人生を一緒に楽しみたかったんだと気付くことになりました。

父の葬儀には100人を超える多くの方が見送りに来てくださいました。そこで多くの方に長男の私に言われたのが「あなたのお父さんはとても立派な人だった。大変だと思うけどあなたもお父さんの代わりにこの家を支えていってね」という励ましの言葉でした。そして父が亡くなる前日に、父が意味深に幼いころの家族写真を眺めてアルバムを積み重ねていたという話を聞いたのを思い出し、“この人(父)が身体のことを相談できないほど精神的に追い詰めたのは私だ。私が父を殺した責任を取らなくてはいけない。”と思うようになりました。家や土地の名義が私の名前になったのもその思いを後押ししていました。部活を辞め、無意識に友達との交流を断ち、今は人生を楽しんではいけないと思いながら消沈した母を支え続けて来ました。その2年後に祖母が大腸がんで亡くなったことをきっかけに、“人はなぜ病気になるのだろう?どうして人生に病気が必要なんだろう?”と疑問に思うようになり、大切な人を自分で守れるようにという思いと、母の「安定した仕事に就いてほしい」という願いから医療の道に進むことを決めました。私は父との喧嘩の思い出が詰まった家から自由になりたく、県外の専門学校へ進学をしました。

 

しかし父が亡くなってから人との交流を無意識に断っていた私は仲良くなったクラスメイトが退学や休学などさまざまな理由から去っていき、やっぱり幸せになってはいけないんだと思うようになりました。遊び歩いていたクラスメイトに嫌悪感を抱き、自ら避けていました。女性に告白されても“自分にはそんな資格はない。そんなことよりも早く就職できるように時間を費やしたい”とますます人を避けていきました。自らの幸せよりも、自分が父親を奪い去ってしまった家族のためにさっさと卒業しようとばかり考えていました。そうして過ごしていくうちに不眠や過眠、過食や拒食などの症状が出ましたがそれも気にしてもしょうがないと無視し続けていたら、ある日、模擬試験の問題文が頭に入ってこなくなりました。文章を読めはするのですが、次の段落に意識を移すと前の文章の内容が消えてしまい、何度読んでも問題文が理解できなくなりました。そして卒業試験は不合格となり、留年が決まりました。そこで初めて自分の身体の異常と向き合いました。実家に戻り半年後にまた卒業試験を受けるまでの間、悩んだ末に精神科のクリニックを受診すると、ディスレクシア型の重症うつ病ということが判明しました。ディスレクシアとは発達障害などで使われる言葉で読み書き障害ともいわれています。当時は重度のうつ病に読み書き障害が見られることはあまり知られておらず、周りの理解も得られにくく、単に勉強できない言い訳をしていると思われることも沢山ありました。そしてうつの治療を進め少しずつ症状が緩和し、無事に卒業試験と国家試験に合格して努めた病院でも孤独になる自分は変わりませんでした。

 

そんなときに昔憧れていた女性から数年ぶりに連絡をもらい、これを機に自分に人との繋がりや幸せを認めてもいいんじゃないかと考えた私はその女性とお付き合いすることとなり、彼女と家庭を持つことを考え始めました。不思議なことに、11種類もの薬を飲み、副作用や症状に悩まされていたうつ病は、自分が幸せになることをひとつずつ積み重ねることでその症状を辞めていきました。ここで初めて、私が自分が幸せになることを自分に許したからうつ病が消えた。そして自分が殺した父の代わりを生きて父がこの世を去った責任を取らなくてはいけないと自分を責める裏で、亡くなった父を許そうとしていなかったことに気が付きました。亡くなった時に感じた裏切られた感覚は幼少期の頃から本当の自分を見てもらえなかった記憶と重なりやり場のない怒りとなっていたのです。その怒りを表に出さないようにするため、責任を取るという建前を使って本音を隠して生きてきたんだと初めて理解しました。それからは自分の怒りと父の存在を受け入れていくことで薬の量が減り、長女が生まれる前に完治することが出来ました。そして自分の幸せの為に病気を治すという感覚は、自分で病気が治せる証明であるとこの時から確信しました。

脳は潜在意識の“自分自身”を現実化していく

病院勤務でどうしたらリハビリの効果が高くなるか?という研究をしていて、驚くことに、治す目的を持っている人はリハビリ以外のプライベート時間で身体を治す行動を積極的に取り入れている傾向が明らかになりました。そして私も知識を深めていくうちに、脳には病気を発症する部位と、病気を辞める部位が研究で明らかにされていることを知り、身体と心のつながり、人は病気を自分で創り出して自分で辞めているんだという確信をより強めることになりました。

私が命を懸けて父親の注目を集めたり、怒りの感情を通して自分自身を否定していたように、誰しもが受け入れられない“傷”を持っています。頭で違うと否定しても、“傷”の裏に隠れた本当の自分の価値に気付いていないと潜在意識に保存されたセルフイメージの通りの現実を無意識に作り上げてしまいます。そして役に立っていない行動基準や価値観を作り上げている脳の情報を更新すると、これから創り上げる現実を変えていくことが出来ます。そしてこの技術は学べば誰でも使えます。病気や怪我、立ちふさがる問題を作り上げている“傷”を明らかにし、癒し、その傷の裏に隠れた本当の自分の価値に気が付くことは、人生を大きく飛躍させていきます。

私はこの技術を世に広め誰しもが自分自身を知り、心も現実も満ち足りた人生を生きられるのが当たり前の世界を創り上げるために活動しています。

あなたは今の自分のままで、5年、10年、20年と生きた時、理想の人生を生きているでしょうか?もしそうでないのだとしたら、理想の人生を生きる材料は、あなたの脳にしまったままかもしれません。私のセッションがあなたの望む人生を目覚めさせますように。

 

心理セラピスト 佐藤雄太

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